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親が年とってからの子ども

IMG_9405_reこんにちは!先日子どもとアイススケートリンクに遊びに行ったらくるぶしがズル剥けになったウシマルです。辛い。

今回は、もうすぐ誕生日を迎えるにあたり自分の幼少期を振り返ってみました。
長々とくだらない身の上話を書きますが、お暇な時にでもお付き合い頂けたらと思います。

***

先日、少し前にバライティ番組で放送された「親が年とってからの子ども芸人」という企画をやたら主人が嬉しそうに観ていました。
というのも「親が年とってからの子ども」というフレーズは、私達夫婦の間で度々交わされる、主人の大好きな言葉なのです。
私の少し元号がずれている感じや甘やかされて育った感じを察知するとウンコ見つけた小学生のようにキラキラとした瞳で駆け寄ってきて「やっぱり親が年とってからの子どもだね!」と言い放ちます。

事実、私は父が44歳・母が40歳、兄が16歳の時に産まれた子どもです。

大人になってから、父親に「あれなの、ギブミーチョコレートとかって言ったの?」と冗談交じりで聞いたところ「チョコレートはないけど米軍にガムを貰った」と返ってきた時はさすがに衝撃を受けましたが、特に親が年をとっていることをあまり気にもとめず生きてきました。
しかし最近になって、主人がこうもしつこく攻めてくるのでよくよく考えてみると、ようやくおかしなことがたくさんあることに気付きました。

まず、家にあったおもちゃ。
古い茶箪笥の下にあった私のおもちゃ箱(という名の煎餅の空き缶)の中には、母の手書きの絵本、小豆をちりめんで包んだお手玉やガラスのおはじき、タンバリン、鈴、カスタネットにハーモニカが入っていました。なぜちょっとした楽器をこんなにたくさん買い与えたのは謎ですが、私は特に不満もなく毎日鈴を鳴らしたりタンバリンを鳴らしたりして遊んでいました。ただし、母が作った絵本に描かれていたやたらリアルなきつねだけは子どもながらに恐ろしかったのを覚えています。
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保育園に入ってお友達と家を行き来するようになってからは、お友達のおうちではきせかえ人形やシルバニアファミリー、おままごとセットで遊ぶようになりましたがウチにあるおもちゃは変わらず、お友達がウチで遊ぶ時は鈴とタンバリンでセッションをしたりして遊んでいました。

周りの子との違いを気付く年頃の小学校時代、お友達のおうちには美少女戦士の何やら怪しく光る棒や何やら怪しく音が鳴るコンパクトがありましたが、それでも私は家に帰ると鈴とタンバリン、時々ハーモニカを吹いたりして過ごしていました。

ここまでくると、私が腱鞘炎にならなかったことと親に不満を言わなかったことが疑問に思えてきますが、本当に私は特に何も感じていなかったのです。

習い事に関してもお友達はピアノやエレクトーン教室に通うなか私はお琴、茶道、習字とそろばんを習っており、平安顔に産んでしまった娘を中身が伴うように大和撫子に育てるべく両親が気を遣ったようですが失敗に終わります。

そして食卓に並ぶ料理やおやつもそう。
煮物や魚を中心とした献立がほとんどで、ハンバーグやオムライスなんかは家では作れない料理なんだろうなと思っていたし、おやつはらくがんやせんべい、喉を火傷しながらアッツアツの葛湯を食べていました。
本当にたまの外食は知らない料理に出会える機会でしたが、食べ慣れない西洋の飯を少しでも残すと「厨房まで謝りに行ってこい!」と父に怒鳴られるので、父が一緒の外食は嫌なものでした。

住んでいた家も、父はローンや借金の類が大嫌いなため、私が高校3年生と受験で忙しいさなかに突然家と土地を一括で買うまでは家賃が破格の1万5千円というじいちゃんの代から続く借家で育ちました。ボットン式トイレ、手で捻ってガスをつけるタイプのお風呂、二槽式洗濯機、この3つは屋根はついているもののほぼ外にあったし、傾いた床を直す工事が突然始まり、朝起きて居間に行ったら道路に面した壁が根こそぎなくなっていてドリフみたいな家になっていたこともありました。

相変わらず特に不満もない毎日でしたが、それでも厳格な父に少し反抗したい気持ちもあってか、思春期はピアスやブリーチに挑戦しました。
バレる度に裸足で町内を逃げまわり、丸めた新聞紙を持って息も絶え絶え追いかけてくる50代の父を見事に撒いていましたが、当然帰宅するやいなやきっつく巻かれた新聞紙で叩かれました。
娘に逃げられている間に、少しでも新聞紙の強度をあげようと巻き直していた父の姿を思うと今では笑えますが当時は(強度上げんなよ・・・)とかなりイラついたように思います。
そもそもブリーチをしておきながら、隠し通そうと手ぬぐいを被っていわゆる上島竜兵スタイルでご飯を食べていた自分が本当に何を考えていたのか分かりません。

そんな環境下で育ったので、特に上京してから会う人には「たまにババ臭がする」と言われたことも多々あり、大抵バイト先で仲良くなるのは30代のパートさんでした。初対面の同世代の子と話した後は、無理していることもありどっと疲れが押し寄せたりもしました。
それでも父からは義理を守ることの大切さ、母からは社交性を叩きこまれたこともあってか、32歳を迎える今では広い世代の色んな業種の人との関わりを心から楽しめるようになりました。

やはりこうやって振り返ってみても、確かに時代にズレたところは多々あれど両親は精一杯大切に育ててくれたと思います。

***

現代では40代で子どもを持つことは珍しくないし、昔の人と比べ感覚もかなり若い方が多く見られます。
婚期や出産の年齢については様々な意見がありますが、身体的なことさえクリアならば酸いも甘いも噛み分けた40代で子を持つことは良い点も多いと、子どもの立場からは思います。

自分の尻にメダルを挟んで「セットオン!」と叫ぶ我が家のバカすぎる兄弟を見て、女の子が欲しいと切実に思う私からは以上です。

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